
結論:会社員が複数の仕事を持つ意味は、収入源を増やすことだけではありません。「自分株式会社」の社長として、自分の人的資本をどこに投下するかを自分で決められるようになること。そして何より、メンタルが安定することです。お金の面でも、社会保険料の仕組みや経費の考え方など、会社員の複業には構造的な追い風があります。
日曜の夜が、少し重い。上司の一言で一日の気分が決まってしまう。会社が嫌いなわけではないけれど、この一社に人生を全部預けていて大丈夫なのかと、ふと不安になる。——そんな感覚に覚えがあるなら、この記事はあなたのために書いています。
「副業」という言葉には、まだどこか「小遣い稼ぎ」の響きがあります。けれど私は、会社員が複数の仕事を持つことは、お小遣いの話ではなく経営の話だと考えています。主語を「従業員の自分」から「自分株式会社の社長」に変えた瞬間、見える景色が変わるからです。
この記事では、複業を「自分という会社の経営」として捉え直し、人的資本の投下先の考え方、メンタルへの効果、そして見落とされがちなお金の実務面まで、順番に整理します。
あなたはすでに「自分株式会社」の社長である
会社員も、実は一人の例外もなく経営者です。自分株式会社の唯一の資産は、あなた自身の時間とスキル、つまり人的資本。そして今の勤め先は、その人的資本の「投下先」の一つです。毎月の給与は、あなたが自分の資本を貸し出した対価と考えられます。
こう捉えると、一つの疑問が生まれます。全資産を一つの投下先に集中させている状態は、経営として健全だろうか。資産運用の世界では、一つの銘柄に全財産を投じることを集中投資と呼び、リスクの高い戦略とされます。ところがキャリアの世界では、全人的資本を一社に投じることが「普通」とされ、疑われることがありません。
勤め先が悪い投下先だと言いたいのではありません。むしろ本業は、安定した配当(給与)と社会保険を生む優良資産です。問題は、投下先が一つしかないと、その資産の値付けを他人が独占することです。自分の市場価値がいくらなのか、社内の評価以外に知る手段がなくなります。
人的資本の「分散運用」という考え方
複数の仕事を持つとは、人的資本の分散運用です。たとえば平日の日中は本業に8割を投下し、朝や週末の時間で2割を自分の事業に投下する。この2割が、経営者としてのあなたに三つのものをもたらします。
一つ目は市場価格の把握です。社外で自分のスキルに値段がつくと、本業の給与が「相場より高いのか安いのか」が初めて分かります。二つ目はスキルの検証です。社内でしか通用しない能力なのか、市場で通用する能力なのかは、外で売ってみるまで分かりません。三つ目はポートフォリオの調整権です。本業と自分の事業の配分を、状況に応じて自分で動かせるようになります。
一番大切なのは、メンタルの安定
複業のメリットとして収入や節税が語られがちですが、私が一番大きいと感じているのは、実はメンタルの安定です。
収入と評価の軸が一つしかないと、その一つの場所で起きる理不尽が、人生全体の問題に膨らみます。上司に否定されれば自分の全部が否定された気になり、社内の空気が悪ければ世界全体が暗く見える。逃げ場のなさは、判断を狂わせます。辞めるべき場面で辞められず、断るべき場面で断れなくなります。
複数の仕事を持つと、この構造が変わります。「ここだけが世界ではない」と心の底から思えている人は、不思議なもので、本業でも堂々と意見が言えるようになります。失うものが人生の全部ではなくなるからです。
そしてもう一つ。世の中は広く、どこかに必ず、あなたを強烈に欲してくれる場所があります。本業では「いて当たり前」の存在でも、あなたのスキルが希少な場所に持っていけば、「ぜひお願いしたい」と感謝されながら働けます。私自身、会社では埋もれがちだった英語や事務改善のスキルが、それを持たない小さな事業者さんの現場では驚くほど喜ばれる、という経験をしてきました。需要と供給の勾配があるところでは、単価も自然に上がります。同じ1時間の労働が、場所を変えるだけで何倍もの価値になる。これも立派な人的資本の運用です。
お金の実務面——会社員の複業には構造的な追い風がある
ここからはFPとしての視点で、会社員が個人事業を持つ場合のお金の話を整理します。あまり語られませんが、会社員の複業には制度面の追い風がいくつかあります。
社会保険料は、本業で払っている
個人事業一本で独立すると、国民健康保険と国民年金を自分で全額負担することになり、これがかなり重くのしかかります。ところが会社員の場合、健康保険と厚生年金は本業の給与から納めており、会社が半分を負担してくれています。そして、個人事業として得た所得には、原則として社会保険料が追加でかかりません。
つまり、同じ100万円の事業所得でも、専業の個人事業主と会社員複業では手元に残る額の構造が違います。社会保険という土台を本業に支えてもらいながら、事業側の収益を上乗せできる。これは会社員という立場を活かした、合理的な組み合わせだと思います(雇用契約で働く形の副業では扱いが変わる場合があるため、その際は確認が必要です)。
家事按分——自宅の家賃の一部が経費になる
自宅で事業をしているなら、家賃や電気代、通信費のうち、事業に使っている割合を経費にできます。これを家事按分と呼びます。仕事部屋の面積や作業時間をもとに、実態に応じた割合を決めるのが基本で、自宅を主な仕事場にしている人なら、家賃の3割から5割程度を按分している例が多いです。毎月10万円の家賃なら、年間で数十万円が経費になり得る計算です。
大切なのは「実態に応じて」という部分です。ほとんど使っていない部屋を10割経費にするような無理は、後で説明がつきません。逆に、実際に自宅で仕事をしているのに何も按分しないのは、払わなくてよい税金を払っているのと同じです。
事業に使える主な経費の科目
事業関連の支出で使える主な勘定科目
- 会議費
- 打ち合わせのカフェ代や、仕事の相談を兼ねた飲食など。事業の話をした記録を残しておくと安心です。
- 新聞図書費
- 事業に関する書籍、業界紙、有料メディアの購読料など。学びへの投資が経費として認められる科目です。
- 接待交際費
- 取引先や見込み客との会食、手土産など。個人事業主には法人のような上限額がなく、事業関連性が説明できることが条件です。
- 通信費・消耗品費
- スマホ代やネット回線の事業使用分、PC周辺機器や文房具など、日々の事業インフラです。
ここで強調したいのは、節税は目的ではなく結果だということです。経費にできるのは、あくまで事業のための支出だけ。プライベートの飲み食いに科目の名前をつける行為は、経費ではなくリスクです。ただ、事業を真面目にやっていれば、これまで自腹だった学びや打ち合わせの支出が事業の投資として扱われるようになる。会社員のままでは得られなかった、経営者としての選択肢です。
お金の面の注意点
- 勤務先の就業規則で、副業の可否と届け出のルールを必ず確認する。
- 副業の所得が年間20万円を超えたら、確定申告が必要になる(住民税は金額にかかわらず申告が必要)。
- 帳簿をつけて事業の実態を残す。実態のない「なんちゃって事業」は経費も認められにくい。
- 税や社会保険の扱いは個別の状況で変わるため、迷ったら税理士などの専門家に確認する。
何から始めるか——小さく売ってみる
複業と言っても、最初から大きな事業を立ち上げる必要はありません。おすすめは、本業や趣味で培ったスキルを、小さく一度売ってみることです。文書作成、資料づくり、翻訳、経理の整理、SNSの運用代行。誰かの困りごとを一つ引き受けて、対価を受け取る。この最初の一回が、自分株式会社の「開業日」です。
一度でも自分の力で1万円を稼ぐと、給与の見え方が変わります。会社からもらう30万円と、自分で作った1万円は、金額は違っても質が違う。後者には、値付け、営業、納品、信頼づくりという経営の全要素が詰まっています。この経験そのものが、本業でも効いてくる人的資本になります。
今日からできる3つの実践
1. 自分株式会社の「資産の棚卸し」をする。
本業で身につけたスキル、経験、資格を書き出し、社外の誰の困りごとに使えるかを考えます。
2. 就業規則の副業規定を確認する。
可否と手続きを把握してから動く。ここを飛ばすと、せっかくの挑戦が本業のリスクになります。
3. 最初のお客様候補を一人思い浮かべる。
知人の事業者、以前の同僚、地域の小さなお店。「あの人の何を楽にできるか」から複業は始まります。
よくある疑問
本業がおろそかになりませんか。
時間管理は必要ですが、私の経験では逆の効果の方が大きいです。市場で鍛えられた視点と、メンタルの余裕は、本業の仕事の質を上げます。複業を認める会社が増えているのは、この効果が知られてきたからだと思います。
売れるスキルがない気がします。
スキルは「珍しさ」ではなく「困りごととの距離」で値段がつきます。あなたにとって当たり前の業務が、それを持たない現場では喉から手が出るほど欲しいもの、ということは本当によくあります。
失敗したらどうしますか。
会社員複業の良いところは、失敗のコストが小さいことです。給与という土台があるので、事業がうまくいかなくても生活は壊れません。撤退も自分で決められます。これも分散運用の効用です。
まとめ
サラリーマンが複数の仕事を持つべき理由は、目先の収入ではありません。自分株式会社の社長として人的資本の投下先を自分で選び、市場価値を知り、評価軸を複数持つことでメンタルを安定させる。そのうえで、社会保険料の構造や家事按分といった制度面の追い風も受けられる。守られた土台の上で挑戦できるのは、会社員だけの特権です。
会社を辞める話ではなく、会社に依存しきらない話です。あなたの人的資本の運用方針を決められるのは、あなたという会社の社長、つまりあなただけです。
※本記事は一般的な情報の整理であり、特定の節税手法や個別の税務判断を勧めるものではありません。税金・社会保険の扱いは個々の状況で変わるため、実行の際は税理士等の専門家にご確認ください。
参考リソース
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