
結論:会社員が複数の仕事を持つと、収入源が増える以上に、評価軸が増えます。「自分株式会社」の経営として、自分の人的資本をどこに投下するかを自分で決められるようになり、気持ちも安定しやすくなります。ここで言う複業は、いきなり独立する話ではなく、本業という土台を持ったまま依存先を一つ増やす考え方です。
ただし、誰にでも急いで勧める話ではありません。就業規則、家族との時間、体力、申告の準備まで含めて、小さく続けられる形に落とした時に初めて意味が出ます。
日曜の夜が、少し重い。上司の一言で一日の気分が決まってしまう。会社が嫌いなわけではないけれど、この一社に人生を全部預けていて大丈夫なのかと、ふと不安になる。——そんな感覚に覚えがあるなら、この記事はあなたのために書いています。
「副業」という言葉には、まだどこか「小遣い稼ぎ」の響きがあります。けれど私は、会社員が複数の仕事を持つことは、お小遣いの話ではなく経営の話だと考えています。主語を「従業員の自分」から「自分株式会社を動かす自分」に変えた瞬間、見える景色が変わるからです。
この記事では、複業を「自分という事業の経営」として捉え直し、人的資本の投下先の考え方、メンタルへの効果、始める前の向き不向き、そして見落とされがちなお金の実務面まで、順番に解説します。
先に要点だけ知りたい人へ
- 複業の価値は収入増だけでなく、評価軸を一つ増やして心を安定させることにあります。
- 会社員は社会保険の土台を持ったまま、小さく事業を試せる点でかなり有利です。
- 最初は大きく始めるより、「誰の何を楽にできるか」を一つ決めて小さく売る方が現実的です。
始める前に確認したいこと
- 本業の不満から逃げるためだけに始めると、時間も判断も荒れやすい。
- 週に使える時間が見えていないなら、仕事を増やす前に枠の確保が先です。
- 就業規則や家族との約束を曖昧にしたまま始めると、続いても信頼を落としやすいです。
あなたはすでに「自分株式会社」の社長である
会社員も、実は一人の例外もなく経営者です。自分株式会社の唯一の資産は、あなた自身の時間とスキル、つまり人的資本。そして今の勤め先は、その人的資本の「投下先」の一つです。毎月の給与は、あなたが自分の資本を貸し出した対価と考えられます。
こう捉えると、一つの疑問が生まれます。全資産を一つの投下先に集中させている状態は、経営として健全だろうか。資産運用の世界では、一つの銘柄に全財産を投じることを集中投資と呼び、リスクの高い戦略とされます。ところがキャリアの世界では、全人的資本を一社に投じることが「普通」とされ、疑われることがありません。
勤め先が悪い投下先だと言いたいのではありません。むしろ本業は、安定した配当(給与)と社会保険を生む優良資産です。問題は、投下先が一つしかないと、その資産の値付けを他人が独占することです。自分の市場価値がいくらなのか、社内の評価以外に知る手段がなくなります。
人的資本の「分散運用」という考え方
複数の仕事を持つとは、人的資本の分散運用です。たとえば平日の日中は本業に8割を投下し、朝や週末の時間で2割を自分の事業に投下する。この2割が、経営者としてのあなたに三つのものをもたらします。
一つ目は市場価格の把握です。社外で自分のスキルに値段がつくと、本業の給与が「相場より高いのか安いのか」が初めて分かります。二つ目はスキルの検証です。社内でしか通用しない能力なのか、市場で通用する能力なのかは、外で売ってみるまで分かりません。三つ目はポートフォリオの調整権です。本業と自分の事業の配分を、状況に応じて自分で動かせるようになります。
なぜ「持った方がいい」ではなく「持つべき」だと考えるのか
言い切りが強く聞こえるかもしれませんが、理由は単純です。今の時代は、会社が悪いというより、一つの評価軸に人生を預けること自体のリスクが大きいからです。
景気、部署再編、上司との相性、業務内容の変化。どれも自分だけでは決められません。その時に、本業以外の収入、実績、取引先、学びの回路がまったくない状態だと、環境が変わった瞬間に選択肢まで一緒に細ります。
逆に、小さくても別の仕事が一つあるだけで、「ここがだめでも次がある」という感覚が生まれます。この余白が、転職や独立のためだけでなく、今の仕事を健全に続けるためにも効きます。
一番大切なのは、メンタルの安定
複業のメリットとして収入や節税が語られがちですが、私が一番大きいと感じているのは、実はメンタルの安定です。
収入と評価の軸が一つしかないと、その一つの場所で起きる理不尽が、人生全体の問題に膨らみます。上司に否定されれば自分の全部が否定された気になり、社内の空気が悪ければ世界全体が暗く見える。逃げ場のなさは、判断を狂わせます。辞めるべき場面で辞められず、断るべき場面で断れなくなります。
複数の仕事を持つと、この構造が変わります。「ここだけが世界ではない」と心の底から思えている人は、不思議なもので、本業でも堂々と意見が言えるようになります。失うものが人生の全部ではなくなるからです。
そしてもう一つ。世の中は広く、どこかに必ず、あなたを強烈に欲してくれる場所があります。本業では「いて当たり前」の存在でも、あなたのスキルが希少な場所に持っていけば、「ぜひお願いしたい」と感謝されながら働けます。私自身、会社では埋もれがちだった英語や事務改善のスキルが、それを持たない小さな事業者さんの現場では驚くほど喜ばれる、という経験をしてきました。需要と供給の勾配があるところでは、単価も自然に上がります。同じ1時間の労働が、場所を変えるだけで何倍もの価値になる。これも立派な人的資本の運用です。
お金の実務面——会社員の複業には構造的な追い風がある
ここからはFPとしての視点で、会社員が個人事業を持つ場合のお金の話を解説します。あまり語られませんが、会社員の複業には制度面の追い風がいくつかあります。
社会保険料は、本業で払っている
個人事業一本で独立すると、国民健康保険と国民年金を自分で負担することになり、固定費がかなり重くなります。ところが会社員の場合、健康保険と厚生年金は本業の給与から納めており、会社負担もあります。そのため、個人事業として小さく始める段階では、本業の社会保険という土台を保ったまま試しやすいのが大きな利点です。
つまり、同じ100万円の事業所得でも、専業の個人事業主と会社員複業では手元に残る額の構造が変わりやすいということです。社会保険という土台を本業に支えてもらいながら、事業側の収益を上乗せできる。これは会社員という立場を活かした合理的な組み合わせです。ただし、別の会社に雇用される形の副業や、働き方によっては扱いが変わるため、個別の確認は外せません。
家事按分——自宅の家賃の一部が経費になる
自宅で事業をしているなら、家賃や電気代、通信費のうち、事業に使っている割合を経費にできます。これを家事按分と呼びます。仕事部屋の面積や作業時間など、自分で根拠を説明できる基準で割合を決めるのが基本です。毎月の固定費の一部を事業コストとして整理できると、利益の見え方がかなり変わります。
大切なのは「実態に応じて」という部分です。ほとんど使っていない部屋を10割経費にするような無理は、後で説明がつきません。逆に、実際に自宅で仕事をしているのに根拠を残さず曖昧に処理すると、あとで自分が困ります。面積や時間のメモを残しながら進めるのが安全です。
事業に使える主な経費の科目
事業関連の支出で使える主な勘定科目
- 会議費
- 打ち合わせのカフェ代や、仕事の相談を兼ねた飲食など。事業の話をした記録を残しておくと安心です。
- 新聞図書費
- 事業に関する書籍、業界紙、有料メディアの購読料など。学びへの投資が経費として認められる科目です。
- 接待交際費
- 取引先や見込み客との会食、手土産など。個人事業主には法人のような上限額がなく、事業関連性が説明できることが条件です。
- 通信費・消耗品費
- スマホ代やネット回線の事業使用分、PC周辺機器や文房具など、日々の事業インフラです。
ここで強調したいのは、節税は目的ではなく結果だということです。経費にできるのは、あくまで事業のための支出だけ。プライベートの飲み食いに科目の名前をつける行為は、経費ではなくリスクです。ただ、事業を真面目にやっていれば、これまで自腹だった学びや打ち合わせの支出が事業の投資として扱われるようになる。会社員のままでは得られなかった、経営者としての選択肢です。
お金の面の注意点
- 勤務先の就業規則で、副業の可否と届け出のルールを必ず確認する。
- 副業の所得が年間20万円を超える場合や、申告不要の条件に当てはまらない場合は、確定申告の要否を確認する。所得税の確定申告が不要でも、住民税の申告が必要になることがあります。
- 帳簿をつけて事業の実態を残す。実態のない「なんちゃって事業」は経費も認められにくい。
- 税や社会保険の扱いは個別の状況で変わるため、迷ったら税理士などの専門家に確認する。
始める前に切り分けたい3つ
- 収入目的なのか、将来の独立準備なのか、評価軸の分散なのか。目的で最初の打ち手は変わります。
- 本業の延長で売るのか、趣味や得意分野を売るのか。最初は説明しやすい方が続きます。
- 時間を増やすのではなく、週にどの枠を使うかを先に決める。空いたらやる、では進みません。
何から始めるか——小さく売ってみる
複業と言っても、最初から大きな事業を立ち上げる必要はありません。おすすめは、本業や趣味で培ったスキルを、小さく一度売ってみることです。文書作成、資料づくり、翻訳、経理サポート、SNSの運用代行。誰かの困りごとを一つ引き受けて、対価を受け取る。この最初の一回が、自分株式会社の「開業日」です。
一度でも自分の力で1万円を稼ぐと、給与の見え方が変わります。会社からもらう30万円と、自分で作った1万円は、金額は違っても質が違う。後者には、値付け、営業、納品、信頼づくりという経営の全要素が詰まっています。この経験そのものが、本業でも効いてくる人的資本になります。
最初の複業を選ぶ順番
- まず「すでに頼まれたことがある作業」から考える。ゼロから新しい肩書きを作るより売りやすいです。
- 次に「2時間以内で納品できる小さな商品」に切る。最初から大きい案件にしない方が続きます。
- 最後に「本業に迷惑をかけない時間帯」で回るか確認する。良い複業ほど、本業の信用も守ります。
今日からできる3つの実践
1. 自分株式会社の「資産の棚卸し」をする。
本業で身につけたスキル、経験、資格を書き出し、社外の誰の困りごとに使えるかを考えます。
2. 就業規則の副業規定を確認する。
可否と手続きを把握してから動く。ここを飛ばすと、せっかくの挑戦が本業のリスクになります。
3. 最初のお客様候補を一人思い浮かべる。
知人の事業者、以前の同僚、地域の小さなお店。「あの人の何を楽にできるか」から複業は始まります。
よくある疑問
本業がおろそかになりませんか。
時間管理は必要ですが、私の経験では逆の効果の方が大きいです。市場で鍛えられた視点と、メンタルの余裕は、本業の仕事の質を上げます。複業を認める会社が増えているのは、この効果が知られてきたからだと思います。
売れるスキルがない気がします。
スキルは「珍しさ」ではなく「困りごととの距離」で値段がつきます。あなたにとって当たり前の業務が、それを持たない現場では喉から手が出るほど欲しいもの、ということは本当によくあります。
失敗したらどうしますか。
会社員複業の良いところは、失敗のコストが小さいことです。給与という土台があるので、事業がうまくいかなくても生活は壊れません。撤退も自分で決められます。これも分散運用の効用です。
まとめ
会社員が複数の仕事を持つと何が変わるのか。いちばん大きいのは、目先の収入よりも、自分の人的資本の投下先を自分で選べることです。市場価値を知り、評価軸を複数持ち、気持ちの逃げ場を作れる。そのうえで、制度面の理解まで伴えば、小さく試しながら選択肢を増やせます。
会社を辞める話ではなく、会社に依存しきらない話です。向いている人は、小さくても自分で値段をつけ、納品し、信頼を残す経験から確実に強くなれます。逆に、時間とルールの整理がまだなら、焦って増やすより先に土台を整える方が安全です。
※本記事は一般的な整理であり、特定の節税手法や個別の税務判断を勧めるものではありません。税金・社会保険・就業規則の扱いは状況で変わるため、実行時は勤務先規定と専門家の確認を前提にしてください。
参考リソース
このブログでは、キャリアとお金の考え方を精神論で終わらせず、個人事業や小さな事業に使える実務知として紹介していきます。